心に浮かび、かつ消えゆくよしなしごとが、永遠に消えてしまわないように、そこはかとなく書きつけてみようと思います。

2008年2月3日日曜日

積雪…

のもののあはれにつられて日記を書こうと思ったのはよいのだけど、最近は事件に乏しいので、アフリカ時代に書いていた日記からの引用を。

(注)ADEOとはウガンダのMoyoという地域で難民対象の医療サービスを提供しているNGOです。

「とある日の夕暮れ時に」

いよいよ研修も残り一ヶ月をきり、資料やレポートなどの編集作業で事務所にこもることが多くなってきた。最近では、仕事に疲れたときは事務所から出て、緑に包まれた新鮮な空気を吸うために少し散歩に出ることにしている。

ADEOの敷地をでると幅10メートルほどの一本道があり、右に曲がるとMoyoの町へ、左にまがるとナイル川へと続いている。5月のとある一日、ADEOのオフィスから一番近くにあるトレーディングセンターまでぶらっと散歩をしようと、ADEO敷地を出て、ナイル川へと向う緩やかな坂を下り始めた。雨上がりの夕方で、空気はひんやりとしており、散歩にはもってこいの気候である。

歩いていると、頭に薪の束やポリタンクいっぱいの水をのせて歩いている女性と頻繁にすれ違う。首と肩の動きで上手くバランスをとって手で支えることなく10キロ以上もの荷物を頭で支えて運んでいるのだ。彼女らの多くはスーダン難民であり、英語は話せないが、軽く笑顔を作り、手を振ると、その何倍もの満面の笑顔を浮かべて手を振りかえしてくれる。ちょうど学校が終わって帰宅する時間だったため、子供達もグループをつくり、各々の家へと向ってあるいており、僕を見つけると「もーんろっ(白人)!!」と呼びかけてくる。返事をするときゃっきゃと飛び上がって喜び、友達同士でひそひそと内緒話をはじめる。「ねー、みたみた??本物のはくじんがこっちに手を振ったよぉ。」とでもささやきあっているのだろうか。最初は戸惑うことも多かった彼らの視線も、いまではすっかり慣れて余裕を持って応じることが出来るようになった。

木々にはココナッツやマンゴーが実り、畑にはモロコシが植えられ、まもなく訪れる収穫のときを待っている。30分ほどのんびりと歩き、坂を下りきってつきあたりのラウンダバウトで右折すると、まもなくNdilindili トレーディングセンターに到着する。ついた頃にはすでに日も暮れて、店先にはランタンのやわらかい灯りがともり始めていた。

センターといっても、レンガ造りにトタン屋根の万屋や食堂が道を挟んで両側に5軒ほど並ぶ、ごく小さな盛り場であり、それでも、村では一番の「都会」であるため、多くの人が集まっている。食堂は、日本の時代劇のテレビドラマに出てくる山間[やまあい]の休憩所のように、外に木製の長いすと長テーブルがだされており、人々は肩を寄せ合うようにして食事をとっている。暗がりの中、道にあいた穴に足をとられないよう、足元に注意しながら歩いていると、後ろで僕の名前を呼ぶ声がする。振り返ってみてみると、Ndilindiliセンターの裏手に居を構える顔見知りが食堂の長いすに腰掛け、アフタヌーンティーをすすっていた。一緒にお茶をしないかとの申し出に応えて、自分も長いすに腰掛ける。こちらに来た当初は日が暮れてから活動するマラリア蚊に注意していた為、暗くなってからセンターに来るのはこれがはじめてであったが、オレンジ色のやわらかい灯がスポットライトのように人々の活動を照らし出すせいか、昼間以上に活気に満ちて見えた。

店先のランタンや食堂の竈の炭火はこうこうと燃え、子供達は、薪やわらに火をつけて灯篭がわりにし、元気に走り回っている。すこし危なっかしくもあるが、火傷をしないように、それこそ線香花火でも扱うように、上手に火を扱い遊びまわる姿にしばし見惚れていた。空を見上げれば満天の星空に絵に描いたような天の川が広がり、星のまぶしいばかりのきらめきに混じって、ホタルのやんわりとした光りがところどころにちらついている。耳を澄ませば、人々がさわさわと話す声にまぎれて、蝉の鳴き声が聞こえる。初めてのはずなのに、どこか郷愁を感じてしまう、そんな情景である。日本においてはごく一部の地域を除いてすでに失われてしまった情景・・・

やがで、Moyoにも開発の手が及び、道路が整備され、畑は住宅地へとかわり、これらの自然に満ちた生き生きとした情景も失われてしまうのだろうか?Moyoに住む人々は、自然と共に暮らす生活よりもラジオやパソコン、車やテレビなどのあるより物質的に豊かな生活を求め、人々の目は先進国へと向いている。地域コミュニティーの求心力は失われつつあり、脱地方、脱ウガンダの遠心力がつよく働くようになっているのだ。一方で先進国の目は自分たちの国では失われてしまった自然や豊かな伝統文化へとむけられることが多い。

理想的な発展・開発とはどんなものなのであろうか?途上国だけでなく先進国に暮らすわれわれにとっても、これは真剣に考えるべき命題ではなかろうか。