心に浮かび、かつ消えゆくよしなしごとが、永遠に消えてしまわないように、そこはかとなく書きつけてみようと思います。

2010年12月18日土曜日

優れた人は優しい人

昨日、今年度最後の薬理学の講義がありました。うちの大学を卒業し、薬理学の研究室に入り、教授の退官とともに教授選に出馬。が、破れて大学を後にする事になった先生・・・ずっと地元に貢献してきた先生が、若すぎるという理由で(もちろんそれだけではないでしょうけど)地元を去る事になるのはとても寂しいなと思います。

その先生が僕たちに最後に残してくれた言葉がとても印象的だったので、ここに書き残しておきます。


私は「優」といふ字を考へます。これは優れるといふ字で、 優良可なんていふし、優勝なんていふけど、でも、もう一つ 読み方があるでせう?優しいとも読みます。 さうして、この字をよく見ると、人偏に、憂ふると書いてゐます。 人を憂へる、人の淋しさ、侘しさ、つらさに敏感な事、これが優しさであり、また人間として一番優れてゐる事ぢやないかしら。


太宰治が小説の中で述べている言葉だそうです。

漢字の成り立ちからも、太古の昔から、人に共感できる事が「優しい」ということであり、美徳として考えられていたことが分かる、なるほど、その通りだなぁ、と今更ながら思いました。

別の講義で、沖縄中部病院の院長をかつてつとめられた先生もおっしゃっていましたが、医者は人間が好きでないとできない。人間が好きな人は、きっと太宰治の言う「優しい人」なのだろう、と思い、周りをみまわし、自分自身を振り返り、色々と考えさせられてしまいました。何を考えたのかについては、また別の機会に・・・

ただ、本当の意味で「優しい」人に自分もなりたいと心から思います。同じ日本人だけでなく、文化も生活環境も全く違う途上国の人たちの日常に思いをはせ、ともに憂い、ともに喜べる「優しい」人に。

2010年11月27日土曜日

外側を剥ぎ取れ

カンヌ映画祭でスタンディングオベーションを巻き起こしたというのだから、皆さんはすでにご存知かもしれない。昨夜、宮崎で唯一マイナー映画を中心に上映する宮崎キネマ館にてドキュメンタリー映画『BENDA BILILI!』を見てきた。

先日、友人が中心となって写真展のイベントを開催した際に、広報にご協力いただいたUNICEF協会の方からたまたま教えていただいた映画で、前々から見るのを楽しみにしていたのだが、学祭などに忙殺され、気付けば宮崎では昨日が上映最終日。駆け込みセーフだった(ふう)。


タイトル BENDA BILILI はコンゴ民主共和国の部族語のひとつであるリンガラ語で「外面を剥ぎ取れ」つまり「内面をみよ」という意味らしい。

映画の舞台はアフリカの中心、The Bleeding Heart of Africa とも形容されるコンゴ民主共和国。もともと一つの国だったものが、川を挟んでコンゴ民主共和国とコンゴ共和国に隔てられた歴史があり、地域紛争による内乱で非常に情勢が不安定な国という印象を持つ方も多いのではなかろうか。

そんなコンゴ民主共和国の首都キンサシャで、障害を持ちつつも楽器を演奏し、力強く生きる路上生活者たちが、コンゴを愛する2人のフランス人映像作家にその音楽の才能を見こまれ、Staff Benda Bililiというバンドを結成。その強烈なエネルギーとアフリカンなリズム感、どん底から世界を見つめた歌詞でヨーロッパを席巻するまでのドキュメンタリーである。

あまり詳しい内容に触れるとネタばれになってしまうので、ここには映画を見て感じたことと、1つ印象に残った歌の歌詞を残しておきたい。

もうアフリカに思いをはせるようになって久しいが、実はフランス語圏のサブサハラアフリカには一度も行った事がない自分。でも、映画を見てフランス語圏も英語圏も関係ない事が分かった。見慣れたアフリカの街並み、人々の活気、独特の訛り、それは僕がウガンダやザンビアで見てきたものとなんら変わりはなかった。ドキュメンタリー映画だけに、他のアフリカを扱った映画と比べても、抜群にアフリカの生活感がにじみ出た作品になっていると感じた。

そして貧困から抜け出す手段として音楽がこんなにも魅力的でしかも即効性があるということにも、改めて驚かされた。今後、スタッフ・ベンダ・ビリリのメンバーがどのように活躍を続け、自分達がかつて暮らしていた路上生活者、ダークサイドの社会に対してどのような影響を及ぼしていくのか、その成功を社会にどうやって還元して行くのか、関心を持ち続けて見守っていきたいなあ。

スタッフ・ベンダ・ビリリの歌は、歌詞というよりも、そのテンポとメロディがとても印象的だが、なかでも印象に残ったのはコンゴの象徴ともいえる曲、「マルゲリーテ」である。ある意味ベタなないようではあるが、当事者がうたっているからこそのメッセージ性が感じられる。その歌詞を映画のパンフレットから抜粋しておきたい。

マルゲリーテ(http://www.youtube.com/watch?v=3fYeUosFiBw)

マルゲリーテ 俺の妹
俺たちは同じ親の元に生まれ
弟や妹がそのあとに続いた

今では家族は離ればなれ
おまえは川の岸辺に
俺はその対岸に
お前の形態はヴォーダコム
俺の国にはテレセルしかない
俺はこっちの川岸で独りぼっち

食える日もあれば食えない日もある
ツイてる日は誰にでもある
今日はお前 明日はあいつ
すぐにお前の番がめぐってくる

マルゲリーテはコンゴ共和国に
ココはコンゴ民主共和国に
忌々しい川が二人を隔てる

川によって隔てられた二国に住む兄弟に焦点を当てたこの歌。アフリカに行った事がない人はちょっとピンと来ないかもしれないが、今やアフリカでは携帯が大流行、歌詞の中に携帯が出てきて、しかも通信業者が国によって違うため、国を挟んで通じない、という事情がなんとも現代的でリアルだなぁと思った。


この映画を見て、なんだかすごく元気をもらった。そしてまたアフリカに帰りたくなった。スーダンに留学する来年の2月がますます待ちきれなくなった、FRIDAY NIGHTでした!

そんな映画、BENDA BILILI。そしてバンド STAFF BENDA BILILI。
興味のある人はぜひ、このホームページ(http://bendabilili.jp/bendabilili.html)を覗いてみて下さい♪

まつりのあと・・・

先週末、19~21日にかけて、大学の学園祭がありました。期間中は、所属している国際保健医療サークルの展示と和太鼓の舞台でてんやわんや。太鼓の演目「飛龍火祭り」での大太鼓挑戦を終え、展示の片付けもすませ、文字通り、祭りの後、一抹の寂しさを覚えています。

お世話になった皆さん、ご迷惑をおかけした皆さん、温かく見守っていただいて本当にありがとうございました!!

そしてブログの更新履歴を見てみると…すでに2か月の月日が流れていました。この間、色んな意味で限界に挑戦し、良くも悪くも自分の新たな側面を見る事が出来ました。

これからしばらくは、心にも時間にも余裕があるので、新たに見えてきた自分達としっかりと向き合ってどうやったら少しでも成長できるのか、腰を落ち着けて模索していきたいと思います♪

まずは、最近こわばっている声音を緩めてあげるところから、少しずつ、少しずつ始めて行きたいな。

2010年9月30日木曜日

よかん

どうやら今シーズンも忙しくなりそうです。

月曜から始まった新学期。所属しているラグビー部の幹部交替もあり、自分たちの学年がいよいよ幹部を任されることになりました。5人と人数はそこそこいるものの、全員が大学から始めた初心者。上の先輩方を交えたミーティングは3日間ですでに18時間に及んでいます…

今学期は、ラグビーをはじめ、学内では国際保健医療サークルの部長、和太鼓サークルでの初の大太鼓挑戦、学外ではjaih-sという国際保健医療の学生団体での活動に加えて、国際保健の人材育成を目指すNPO法人設立のお手伝いをしたり、公共改革をめざすユースグループの医療分野で何かしらの貢献ができたらなぁと考えています。

そして、来年2月には念願のスーダンへの医学留学。留学の前後で近隣の国を訪れたり、ダルフールに行ったり、最近、『行列のできる法律相談所』でも取り上げられた日本の医療NGO、ロシナンテスを訪問したり…

こうして考えてみても、やりたいことがいっぱい!!

いつも悩み、反省するのは、やりたいことがたくさんある中で、どうやってプライオリティを設定して、個々の活動の質を高めていくかという事。ともするとどれも中途半端になってしまう。

だから今まで以上にしっかりと意識を持って、計画を立てて、ひとつひとつのことを確実にこなしていかないといけないなと思います。できることから確実に。できることは先延ばししないで。分かってはいるけど、なかなか実現できない、こうしたことを、この日記を読み返すことで、おまじないのように自分の中に刷りこんでいかなきゃ。

ラグビーの今シーズンの方針決めのミーティングをしながらそんなことを考えていました。まずは、幹部ミィーティングをもっとうまくできるように。ラグビーのこともたくさん勉強しないといけないなぁ。

忙しくなりそうな予感。これをパワーに変えて、この半年間、乗り切れますように!そして少し、成長した自分になれますように。

2010年9月27日月曜日

それぞれの描く" きせき "

来週末から始まるラグビーシーズンに備えて、今日は久々に夜の街のジョギングにでかけました。

走っているとシナプスが興奮するせいか、普段は考えもしないような物事が頭を巡り、しばし思考に没頭してしまうことがあります。これもジョギングの魅力の一つでしょうか。

アリストテレスだったか、古代ギリシアのある有名な哲学者は散歩しながら学問について思索にふけっていたといいますが、ちょうどそんな感じなのかもしれません。

今回、巡った思いが宮崎の夜闇に紛れてしまわないように、ここに書き留めておこうと思います。といってもあの瞬間の気持ちの昂りをどれだけ再現できるかなあ。

この夏、僕の友人の一人が、僕が初めて訪れた途上国であるウガンダに1カ月ほど滞在していました。そして、僕が持ち帰ったのとおそらく同じ「質問」を抱えて帰ってきました。(正確には今、日本に向かう旅客機の中かな?)

それは、こんな質問です。

"What would you bring from Japan?"

僕もかつてウガンダに滞在していた半年弱という期間の間に何度となくこの質問をされました。

"What have you brought for us?"
"What would you send us from Japan?"
"You are from Japan! You must be rich enough to help us. Give us something for rememberance..."

こうした質問に対して、1回1回悩み、自分なりの解答を返していました。でも、例えば、"I am just a student... I am not so rich. といってみてもその言葉は彼らの尺度から見たらウソになってしまう。

だって、僕の同僚の優秀な看護師が1年かかっても日本に行く航空券は買えない。それを僕は1カ月のバイトで稼げてしまう。こんな経済格差は歴然と存在しているんだから。

かといって僕は彼らに何を残してあげることができるんだろう…

付き合っていく中で、彼らがそうした質問をすることで、本気で何かを求めているわけではなく、ある意味コミュニケーションの一環なのだというのも感じ始めました。何かもらえたらめっけものかな、くらいの。

でも一方で、自ら国という枠を越えて、彼らの生活に踏み込み、自分という先進国の人間を彼らにとって「リアルな」存在として認識させてしまった。つまり、自分は、ウガンダの北部スーダンとの国境もほど近いモヨに住む一部の人とは人と人との関係を心のつながりをある意味で「築いてしまった」。

こうしたモヤモヤした気持ちは帰国した後も、ずっと僕の心を占めていました。彼らの生活は今でも僕にとってはリアルで、目を閉じて思いを遠く西の大陸に馳せれば、彼らの笑顔が、活気溢れる生活の場面が、そして、その陰に潜む絶望や涙、貧困が甦ってきます。

どうしたらいいんだろう。どうしたらいいんだろう、一体。悩んでは行動し、行動しては、悩み、時に立ち止まり、二の足を踏み、そして自分なりに出した結論、それが、「医師になる」ということでした。

今度、腰を落ち着けてウガンダに戻った時、礼の質問に僕はきっとこう答えます。

"What have you brough for us my friend?"

"I've been thinking about it all this time, and what do you think I have brought for you all. I have brought for you a doctor, with the will to live with you and understand you. Listen to you and do what he can do for you. Well it is myself in short."

医師を目指して、医学部に入り、国際保健医療を志す友人と話していると、多くの人のベクトルの向きは僕とは真逆。初めは緊急支援なんかに憧れて、途上国に現場で医療を提供したいっていう熱い気持ちで医学部に入っている人がとっても多い。でも実際に活躍されているいろんな人の話を聞くうちに、自分で現場を見るうちに、もっと多くに人が救えるように、根本が解決できるように。そう考えて、医療行政、国際保健分野でのマネージメントやWHO、UNICEFなどのコーディネータの仕事に憧れを持ち始めます。

それは、すごく意義があるし素敵なことだと思います(色んなジレンマを抱えることにはなるだろうけど)。ただ自分は結局多分アフリカに、ウガンダに、モヨに戻りたいだけなんです。戻って恩返しをしたい。まずはそこから始めたい。それより先のことはちょっと分からない。なにより、皆が同じことをやっていたら世の中はなかなか良くならない。国際協力へのアプローチはボトムアップとトップダウンが両方存在していなくてはならない。分野もいろんな分野の人が、同じ夢を描いて、それぞれに協力し合いながら、時には競い合いながら、問題に立ち向かわなければならない。

それぞれが描くキャリアパス。将来への軌跡はけっして直線であることはなく、なめらかな曲線でもない。まっすぐ行くかと思いきや急に鋭角のカーブをし、壁に突き当たって弧を描いてそれを乗り越える。

様々な分野に進んでいった友人がこうして、それぞれの人生の軌跡を描いている。数多くの点の集合が創りだす軌跡、それがただ1点で交わるなんて、そんなことは奇跡かもしれない。

でも自分はそんな将来を夢見ています。同じ夢を描いていた仲間たちが、それぞれの軌跡を描きつつ、また1点で交わる。偶然の再会が続く。鳥肌が立つ。夢が夢ではなくなる。奇跡はたぶん起こります。

いやあ、やはりこの「思い」どうもうまく収拾がつきませんでした・・・。

と、とんでもなく長くなってしまいましたが、こんな妄想を抱きつつ、明日からの新学期は心機一転で頑張りたいと思います☆

2010年9月24日金曜日

ブログ移行

以前から考えていたブログの一般プロバイダへの移行ですが、ようやく完了しました!

ブログ開設に際して、どのプロバイダーがよいか、多くの友人にアドバイスをいただきました。

どうもありがとう☆

今度ともどうぞよろしくお願いします^^

2010年9月15日水曜日

体型改善宣言!

最近会う人に会う人に「太ったね」と言われますあせあせ(飛び散る汗)

人によって表現は「大きくなったね」だったり、「成長
した?」だったり、「太った?」だったり、もっと直接
的に、「脂肪ついたでしょう~」だったり、はたまた、
無言でお腹に視線を送られたり…

人生29年目にして初めての経験。不覚。どうやら自分の
基礎代謝能を過信していたようです。

というわけで、体型改善宣言します。

1.体重は現在の74キロから、ぎりぎりラグビーをできるラインの65キロまで。
2.体脂肪率は2○%超から10%未満まで。
3.期日は2010年度中。

やるぞー。自分に負けちゃだめだ!

皆様、アンチエイジングに成功した私との再会を楽しみ
にしていてくださいexclamation ×2

九州男児の心意気

シンプルだけど、でも説得力があった。結局そういうことでいいんだと思った。


ペシャワール会を通して、30年近くアフガニスタンにて地元に根差した活動を続けている中村哲先生。国際保健医療学会で彼の講演を聴く機会に恵まれた。

最初は医療活動から始めた。先進国型のセオリーにのっとり「1つの疾患に焦点を当てた」アプローチ。でもそれではうまくいかない…。当然、途上国の現場には複数の疾患が混在し、相互に影響し合っている。

そこで本当に地元に役立つ活動は何なのか考え、悩み、現地の状況にあった医療サービスの提供を心掛けた。

そんな中で気づいてきた事実。それは医療以前の問題があるということ。まず食べる食物がない、そして飲む水もない。食い繋ぐくとができれば、病気の大半は予防ができるはずだ。

こうして始めたのが用水路事業。いつしか聴診器の握り方も忘れ、重機の扱いにたけるようになった。「持続可能な」用水路を造るために、日本に古くからある手法を勉強した。

用水路が通った半砂漠地帯には、田畑ができ、作物が実るようになった。難民たちはこの地へ帰還し、マドラサ(イスラムの学校)、モスク(イスラムの教会)の建設にも取り組み、コミュニティーの再生に尽力した。

そうこうしているうちに早20数年。メディアにも取り上げられる有名人になった中村哲先生。

この先生の活動の原動力は何だったのか。ペシャワールの会報には、道楽と思ってやっている、とそう書いてあった。

これに対して、フロアから質問があがった。先生の力の源は一体何なんですか!?

中村先生曰く「昔はこういうことって説明しなくてもよかったと思うんです。人として放っておけない、ただその気持ちで活動してきました。九州男児の心意気ってやつですよね。でも今は説明の言葉がいるのかな…」

-現地の人たちの生きようとするエネルギー
-それに共鳴した日本人の善意による寄付
-そして哲先生の言う九州男児の心意気

こうしたものが合わさり、相乗効果を生み出し、アフガニスタンの地での活動につながったのだと。


なぜだろう、このシンプルさに胸を鷲づかみされました。

我々一人ひとりに何ができるのか。何かしたいけど、どうしたらいいのか考えてはいるけど、なんとなく忘れていく。

そんな中でも縁を大事にしつつ、自分に関わりのあることから始めて行く。そして活動を続けるということ。そうしたことで、哲先生がされているような活動につながり、それが広がり、広く世界にインパクトを与えられるようになるのだろう。なってほしい。

2010年9月5日日曜日

失われる命

こうのとりのゆりかご(通称:赤ちゃんポスト)を日本で初めて開設した熊本・慈恵病院の蓮田先生が来宮し、講演会があった。

その中で知った事実。それは日本で年間に24万人もの赤ん坊が人工妊娠中絶によりその命を絶たれているということ。出産100件当たりで22件、実に20%もの命が光をみることなく失われていることになる(2008年データ)。

国際保健の世界では日本の乳幼児死亡率の低さばかりがスポットライトを浴びるが、この人工妊娠中絶率の高さは完全に見過ごされている。

世界で失われている幼い命と比較しても、この日本の中絶率の高さは看過できないのではないか。そう思い調べてみた。

Lancetに発表された米ワシントン大学の調査によると世界で失われている5歳未満の命は年間700万人だという。このほとんどが途上国における死亡だとして、世界にはおおよそ150の途上国と言われる国があるから、1国あたりの単純平均を求めると、4.7万人の5歳未満の命が失われていることになる(かなり乱暴だが…)。

途上国(1カ国)で年間に失われる5歳未満の命が4.7万人…
日本で年間に失われる胎児の命が          24万人…

マザーテレサが日本の人工妊娠中絶の多さに驚愕し、「日本は心の貧しい国ですね」と言った、その気持ちが分かった気がした。

自分の住む国の現状について、少し足元から見直した方がいいのかもしれない。
「愛の反対は憎しみではなく無関心である…」というマザーの言葉を胸に…

2010年9月2日木曜日

職人技(しょくにんわざ)

今日、久々に晴れて時間もあったので、ここのところ不調だったバイクを行きつけのバイク屋さんに連れて行った。

「ちょっと最近ブレーキの調子が悪いんです。」そう一言告げると、おやっさんはわき目も振らずバイクに歩み寄り、そしてピンポイントで問題となっている部位を探り当てる。

いつものことながら、鮮やかな職人技にただただ見とれていた。

なるべく少ない情報から患者さんの状態を論理的に推測して、疾患の治療にあたる。レントゲンも、CTも使わず、聴診器だけで、心臓疾患をみごとに言い当てる熟練医。

そんなイメージが自然と浮かんできて、おやっさんと重なった。

おやっさんがバイクの命を扱う職人なら、医師は人の命を扱う職人である。違いは、バイクは自分の悪いところをしゃべってはくれないが、患者さんは思いのたけを伝えてくれるところ。

患者さんの声に耳を傾けつつ、熟練の技と知識で、「機械」に頼らない(頼り過ぎない)医師になりたいと思っている。そうすれば、きっと日本の僻地でも、途上国でもどこに行っても通用する医師になれるのではないだろうか。

2010年8月31日火曜日

星空探し

最近、宮崎の天気はとっても不安定。真上を見上げると透き通るような紺碧の空が広がっていると思いきや、視線を横に流すと、入道雲のような黒く猛々しい雲が息巻いている。

そんな天気だから、残念ながら最近は夜の星空はあまり期待できない。

今日もさきほど散歩がてらジュースを買いに出かけた際にふと空を見上げたのだが、白銀の点がぽつぽつパラパラ、東京で見る星空とさして変わりなく、がっかりしてしまった。

そして思い出したのが、今月初めにいった五島列島でみた星空。そこには満天の星空、天然のプラネタリウムが広がっていた。

それは、数年前にアフリカで見て感動した、手を伸ばせが星を掬い取れそうな、そんな星空を思い出させるに十分のものだった。

しばらく空を見上げていると、あちらこちらで流れ星が見られる…

「○○流星群が見られる今日は流れ星を観測する絶好のチャンスです」そんな特別な日でなくても、星降る島。

日本でもこれだけの星空がみられるのかと正直カルチャーショックであった。

「宮崎と五島列島はそんなに自然環境が違うとはとても思えない。」「もしかしたら行く場所に行けば、宮崎でもあんな星空が見えるのだろうか?」そんな考えが浮かび、ふと思い立ったのが「星空探し」である。

時間を見つけて、宮崎の星降る処を探してみたいなあ、と、こういうわけです。決してレポート課題からの現実逃避ではないですよ…

2010年8月30日月曜日

愛は地球を救う

中学生の時に24時間テレビで見た途上国で働く医師に憧れて、その思い一筋、気づいたら医師になり、国際保健に携わっていた。そんな素敵な女性医師にインタビューする機会に恵まれました。

気持ちをずっと持ち続けられるってやっぱりすごいexclamation

「途中思い通りにいかないことはあったけど、思い返してみると無駄な経験なんてひとーっつもなかった。」

ずいぶんと回り道している自分だから、そんな言葉にすごく勇気づけられましたぴかぴか(新しい)

2010年8月27日金曜日

健全な後ろめたさ

国際協力写真展と並行して、実は現在、「国際保健医療と地域医療」をテーマに、国際保健医療、地域医療の現場で活躍されている医療者の方にインタビューをしてまわっている。

企画の目的は、宮大を中心とした学生に、国際保健医療や地域医療について少しでも身近に感じてもらい、将来の選択肢として考えてもらうこと。

今日は、そのインタビューの一環で、とある若手のドクターにお話を伺った。

この先生、宮崎出身でなんと大学が僕と同期入学同期卒業(僕が宮崎大学に来る前の話)で、沖縄中部病院(研修病院のメッカのひとつ)・アメリカでの研修を経て宮崎に戻ってきたというなかなか変わった経歴の持ち主である。

なぜ敢えて宮崎に戻ってきたのか。それは、宮崎の地域医療をなんとかしたい、ふとそう思ったからだという。

インタビューの詳細な内容に触れていると日がきっと暮れてしまうので、ここではそんな彼の話の中でも特に印象に残ったお話を。(各インタビューの詳細は11月の学園祭で展示します)

それは「医師には健全な後ろめたさ」が必要である、という一言。

曰く「医者はつねに患者さんのことを思って100%の医療を目指すべきだよね。でも100%って難しい。だって、状態が安定しない重症患者さんを受け持っているとするでしょ。いつ血圧が下がるか分からない。そんな時は、夜通しベットの横で患者さんを見守っていて、急変した時にはいつでも対処できるように。そうできるのがベストだよね。でも実際はそうはいかない。だって自分の生活もあるし、家には家族が待っている。そんなときに、僕は患者さんに対して、いつも後ろめたい気持ちを持っているんだ。でもこの後ろめたさってある意味絶対に必要なもので、後ろめたさを感じなくなってしまったらすごく危ない。だから僕は、いつも医療者は「健全な後ろめたさを持つべきだって、そう思っているんだよね」

後ろめたい。それは一見ネガティブなことのようだけど、実はその気持ちを持つことが、自分が患者さんのことを常に心にとめている、その証拠になるのだろうなぁ、とそう強く思ったのでした。

2010年8月26日木曜日

あつい思い

医学部生活も3年目の半ば。

そろそろ、色んな事がリアリティを持って自分に迫ってくるようになってきた。
専門のことだとか、就職先のことだとか、はたまた結婚のことだとか…

そんな中、今年の夏は、日本の地域医療をもっと知ろうということで、長崎の
五島列島と長野の佐久地域での実習に参加した。

そして思った。

「地域医療に従事する人たちはやっぱりアツい。」

自分たちの夢を持ち、それを自分の言葉で臆せず語ることができる。40、50、60
になんなんとする、大の大人が、である。

自分もそうやっていつまでもアツく夢を語れる、そして、夢を夢のままでは終わら
せない、そんな大人になりたい。

そう思った。

Global Gallery~国際協力写真展~

8月18日から1ヶ月間、僕が所属するサークルの企画の一環として、大学の図書館でちっちゃな写真展が始まった。
http://www.lib.miyazaki-u.ac.jp/honkan/news/20100819.htm/view
(画像をクリックすると大きなポスターが見れます)

うちの大学では「チャレンジプログラム」といって、学生が地域に向けて何かの活動をする際に、一定の助成を受けられる制度がある。

それを利用して、途上国での活動経験のある仲間数名が写真を持ち寄り写真展を企画したのだ。

実は今年で4年目となるこの企画だが、図書館でやるのは初めて!思わぬところから図書館でやってみないかと紹介して頂き、あれよあれよという間に実現にこぎつけられた。

写真とともに、国際協力に関する推薦図書も展示してあり、普段はローカル&ドメスティックな宮崎大学図書館にちょっとした「国際協力スペース」が出来上がっている。

たまに図書館に足を運んでみると、写真の前で立ち止まってくれている方がちらほらいて思わず笑みがこぼれてしまったり。

1ヶ月後に「感想ノート」を読むのがとっても楽しみです♪