心に浮かび、かつ消えゆくよしなしごとが、永遠に消えてしまわないように、そこはかとなく書きつけてみようと思います。

2010年9月30日木曜日

よかん

どうやら今シーズンも忙しくなりそうです。

月曜から始まった新学期。所属しているラグビー部の幹部交替もあり、自分たちの学年がいよいよ幹部を任されることになりました。5人と人数はそこそこいるものの、全員が大学から始めた初心者。上の先輩方を交えたミーティングは3日間ですでに18時間に及んでいます…

今学期は、ラグビーをはじめ、学内では国際保健医療サークルの部長、和太鼓サークルでの初の大太鼓挑戦、学外ではjaih-sという国際保健医療の学生団体での活動に加えて、国際保健の人材育成を目指すNPO法人設立のお手伝いをしたり、公共改革をめざすユースグループの医療分野で何かしらの貢献ができたらなぁと考えています。

そして、来年2月には念願のスーダンへの医学留学。留学の前後で近隣の国を訪れたり、ダルフールに行ったり、最近、『行列のできる法律相談所』でも取り上げられた日本の医療NGO、ロシナンテスを訪問したり…

こうして考えてみても、やりたいことがいっぱい!!

いつも悩み、反省するのは、やりたいことがたくさんある中で、どうやってプライオリティを設定して、個々の活動の質を高めていくかという事。ともするとどれも中途半端になってしまう。

だから今まで以上にしっかりと意識を持って、計画を立てて、ひとつひとつのことを確実にこなしていかないといけないなと思います。できることから確実に。できることは先延ばししないで。分かってはいるけど、なかなか実現できない、こうしたことを、この日記を読み返すことで、おまじないのように自分の中に刷りこんでいかなきゃ。

ラグビーの今シーズンの方針決めのミーティングをしながらそんなことを考えていました。まずは、幹部ミィーティングをもっとうまくできるように。ラグビーのこともたくさん勉強しないといけないなぁ。

忙しくなりそうな予感。これをパワーに変えて、この半年間、乗り切れますように!そして少し、成長した自分になれますように。

2010年9月27日月曜日

それぞれの描く" きせき "

来週末から始まるラグビーシーズンに備えて、今日は久々に夜の街のジョギングにでかけました。

走っているとシナプスが興奮するせいか、普段は考えもしないような物事が頭を巡り、しばし思考に没頭してしまうことがあります。これもジョギングの魅力の一つでしょうか。

アリストテレスだったか、古代ギリシアのある有名な哲学者は散歩しながら学問について思索にふけっていたといいますが、ちょうどそんな感じなのかもしれません。

今回、巡った思いが宮崎の夜闇に紛れてしまわないように、ここに書き留めておこうと思います。といってもあの瞬間の気持ちの昂りをどれだけ再現できるかなあ。

この夏、僕の友人の一人が、僕が初めて訪れた途上国であるウガンダに1カ月ほど滞在していました。そして、僕が持ち帰ったのとおそらく同じ「質問」を抱えて帰ってきました。(正確には今、日本に向かう旅客機の中かな?)

それは、こんな質問です。

"What would you bring from Japan?"

僕もかつてウガンダに滞在していた半年弱という期間の間に何度となくこの質問をされました。

"What have you brought for us?"
"What would you send us from Japan?"
"You are from Japan! You must be rich enough to help us. Give us something for rememberance..."

こうした質問に対して、1回1回悩み、自分なりの解答を返していました。でも、例えば、"I am just a student... I am not so rich. といってみてもその言葉は彼らの尺度から見たらウソになってしまう。

だって、僕の同僚の優秀な看護師が1年かかっても日本に行く航空券は買えない。それを僕は1カ月のバイトで稼げてしまう。こんな経済格差は歴然と存在しているんだから。

かといって僕は彼らに何を残してあげることができるんだろう…

付き合っていく中で、彼らがそうした質問をすることで、本気で何かを求めているわけではなく、ある意味コミュニケーションの一環なのだというのも感じ始めました。何かもらえたらめっけものかな、くらいの。

でも一方で、自ら国という枠を越えて、彼らの生活に踏み込み、自分という先進国の人間を彼らにとって「リアルな」存在として認識させてしまった。つまり、自分は、ウガンダの北部スーダンとの国境もほど近いモヨに住む一部の人とは人と人との関係を心のつながりをある意味で「築いてしまった」。

こうしたモヤモヤした気持ちは帰国した後も、ずっと僕の心を占めていました。彼らの生活は今でも僕にとってはリアルで、目を閉じて思いを遠く西の大陸に馳せれば、彼らの笑顔が、活気溢れる生活の場面が、そして、その陰に潜む絶望や涙、貧困が甦ってきます。

どうしたらいいんだろう。どうしたらいいんだろう、一体。悩んでは行動し、行動しては、悩み、時に立ち止まり、二の足を踏み、そして自分なりに出した結論、それが、「医師になる」ということでした。

今度、腰を落ち着けてウガンダに戻った時、礼の質問に僕はきっとこう答えます。

"What have you brough for us my friend?"

"I've been thinking about it all this time, and what do you think I have brought for you all. I have brought for you a doctor, with the will to live with you and understand you. Listen to you and do what he can do for you. Well it is myself in short."

医師を目指して、医学部に入り、国際保健医療を志す友人と話していると、多くの人のベクトルの向きは僕とは真逆。初めは緊急支援なんかに憧れて、途上国に現場で医療を提供したいっていう熱い気持ちで医学部に入っている人がとっても多い。でも実際に活躍されているいろんな人の話を聞くうちに、自分で現場を見るうちに、もっと多くに人が救えるように、根本が解決できるように。そう考えて、医療行政、国際保健分野でのマネージメントやWHO、UNICEFなどのコーディネータの仕事に憧れを持ち始めます。

それは、すごく意義があるし素敵なことだと思います(色んなジレンマを抱えることにはなるだろうけど)。ただ自分は結局多分アフリカに、ウガンダに、モヨに戻りたいだけなんです。戻って恩返しをしたい。まずはそこから始めたい。それより先のことはちょっと分からない。なにより、皆が同じことをやっていたら世の中はなかなか良くならない。国際協力へのアプローチはボトムアップとトップダウンが両方存在していなくてはならない。分野もいろんな分野の人が、同じ夢を描いて、それぞれに協力し合いながら、時には競い合いながら、問題に立ち向かわなければならない。

それぞれが描くキャリアパス。将来への軌跡はけっして直線であることはなく、なめらかな曲線でもない。まっすぐ行くかと思いきや急に鋭角のカーブをし、壁に突き当たって弧を描いてそれを乗り越える。

様々な分野に進んでいった友人がこうして、それぞれの人生の軌跡を描いている。数多くの点の集合が創りだす軌跡、それがただ1点で交わるなんて、そんなことは奇跡かもしれない。

でも自分はそんな将来を夢見ています。同じ夢を描いていた仲間たちが、それぞれの軌跡を描きつつ、また1点で交わる。偶然の再会が続く。鳥肌が立つ。夢が夢ではなくなる。奇跡はたぶん起こります。

いやあ、やはりこの「思い」どうもうまく収拾がつきませんでした・・・。

と、とんでもなく長くなってしまいましたが、こんな妄想を抱きつつ、明日からの新学期は心機一転で頑張りたいと思います☆

2010年9月24日金曜日

ブログ移行

以前から考えていたブログの一般プロバイダへの移行ですが、ようやく完了しました!

ブログ開設に際して、どのプロバイダーがよいか、多くの友人にアドバイスをいただきました。

どうもありがとう☆

今度ともどうぞよろしくお願いします^^

2010年9月15日水曜日

体型改善宣言!

最近会う人に会う人に「太ったね」と言われますあせあせ(飛び散る汗)

人によって表現は「大きくなったね」だったり、「成長
した?」だったり、「太った?」だったり、もっと直接
的に、「脂肪ついたでしょう~」だったり、はたまた、
無言でお腹に視線を送られたり…

人生29年目にして初めての経験。不覚。どうやら自分の
基礎代謝能を過信していたようです。

というわけで、体型改善宣言します。

1.体重は現在の74キロから、ぎりぎりラグビーをできるラインの65キロまで。
2.体脂肪率は2○%超から10%未満まで。
3.期日は2010年度中。

やるぞー。自分に負けちゃだめだ!

皆様、アンチエイジングに成功した私との再会を楽しみ
にしていてくださいexclamation ×2

九州男児の心意気

シンプルだけど、でも説得力があった。結局そういうことでいいんだと思った。


ペシャワール会を通して、30年近くアフガニスタンにて地元に根差した活動を続けている中村哲先生。国際保健医療学会で彼の講演を聴く機会に恵まれた。

最初は医療活動から始めた。先進国型のセオリーにのっとり「1つの疾患に焦点を当てた」アプローチ。でもそれではうまくいかない…。当然、途上国の現場には複数の疾患が混在し、相互に影響し合っている。

そこで本当に地元に役立つ活動は何なのか考え、悩み、現地の状況にあった医療サービスの提供を心掛けた。

そんな中で気づいてきた事実。それは医療以前の問題があるということ。まず食べる食物がない、そして飲む水もない。食い繋ぐくとができれば、病気の大半は予防ができるはずだ。

こうして始めたのが用水路事業。いつしか聴診器の握り方も忘れ、重機の扱いにたけるようになった。「持続可能な」用水路を造るために、日本に古くからある手法を勉強した。

用水路が通った半砂漠地帯には、田畑ができ、作物が実るようになった。難民たちはこの地へ帰還し、マドラサ(イスラムの学校)、モスク(イスラムの教会)の建設にも取り組み、コミュニティーの再生に尽力した。

そうこうしているうちに早20数年。メディアにも取り上げられる有名人になった中村哲先生。

この先生の活動の原動力は何だったのか。ペシャワールの会報には、道楽と思ってやっている、とそう書いてあった。

これに対して、フロアから質問があがった。先生の力の源は一体何なんですか!?

中村先生曰く「昔はこういうことって説明しなくてもよかったと思うんです。人として放っておけない、ただその気持ちで活動してきました。九州男児の心意気ってやつですよね。でも今は説明の言葉がいるのかな…」

-現地の人たちの生きようとするエネルギー
-それに共鳴した日本人の善意による寄付
-そして哲先生の言う九州男児の心意気

こうしたものが合わさり、相乗効果を生み出し、アフガニスタンの地での活動につながったのだと。


なぜだろう、このシンプルさに胸を鷲づかみされました。

我々一人ひとりに何ができるのか。何かしたいけど、どうしたらいいのか考えてはいるけど、なんとなく忘れていく。

そんな中でも縁を大事にしつつ、自分に関わりのあることから始めて行く。そして活動を続けるということ。そうしたことで、哲先生がされているような活動につながり、それが広がり、広く世界にインパクトを与えられるようになるのだろう。なってほしい。

2010年9月5日日曜日

失われる命

こうのとりのゆりかご(通称:赤ちゃんポスト)を日本で初めて開設した熊本・慈恵病院の蓮田先生が来宮し、講演会があった。

その中で知った事実。それは日本で年間に24万人もの赤ん坊が人工妊娠中絶によりその命を絶たれているということ。出産100件当たりで22件、実に20%もの命が光をみることなく失われていることになる(2008年データ)。

国際保健の世界では日本の乳幼児死亡率の低さばかりがスポットライトを浴びるが、この人工妊娠中絶率の高さは完全に見過ごされている。

世界で失われている幼い命と比較しても、この日本の中絶率の高さは看過できないのではないか。そう思い調べてみた。

Lancetに発表された米ワシントン大学の調査によると世界で失われている5歳未満の命は年間700万人だという。このほとんどが途上国における死亡だとして、世界にはおおよそ150の途上国と言われる国があるから、1国あたりの単純平均を求めると、4.7万人の5歳未満の命が失われていることになる(かなり乱暴だが…)。

途上国(1カ国)で年間に失われる5歳未満の命が4.7万人…
日本で年間に失われる胎児の命が          24万人…

マザーテレサが日本の人工妊娠中絶の多さに驚愕し、「日本は心の貧しい国ですね」と言った、その気持ちが分かった気がした。

自分の住む国の現状について、少し足元から見直した方がいいのかもしれない。
「愛の反対は憎しみではなく無関心である…」というマザーの言葉を胸に…

2010年9月2日木曜日

職人技(しょくにんわざ)

今日、久々に晴れて時間もあったので、ここのところ不調だったバイクを行きつけのバイク屋さんに連れて行った。

「ちょっと最近ブレーキの調子が悪いんです。」そう一言告げると、おやっさんはわき目も振らずバイクに歩み寄り、そしてピンポイントで問題となっている部位を探り当てる。

いつものことながら、鮮やかな職人技にただただ見とれていた。

なるべく少ない情報から患者さんの状態を論理的に推測して、疾患の治療にあたる。レントゲンも、CTも使わず、聴診器だけで、心臓疾患をみごとに言い当てる熟練医。

そんなイメージが自然と浮かんできて、おやっさんと重なった。

おやっさんがバイクの命を扱う職人なら、医師は人の命を扱う職人である。違いは、バイクは自分の悪いところをしゃべってはくれないが、患者さんは思いのたけを伝えてくれるところ。

患者さんの声に耳を傾けつつ、熟練の技と知識で、「機械」に頼らない(頼り過ぎない)医師になりたいと思っている。そうすれば、きっと日本の僻地でも、途上国でもどこに行っても通用する医師になれるのではないだろうか。