心に浮かび、かつ消えゆくよしなしごとが、永遠に消えてしまわないように、そこはかとなく書きつけてみようと思います。

2012年3月5日月曜日

見てみぬふりをしないために

桑山先生の「地球のステージ」に参加して、今なぜ、自分がここに立っているのかを思い出した。

「見てみぬふりをしないために」

よし、一旦、ふりだしから再スタートしよう。

2011年8月21日日曜日

備忘録20110820

試験のドタバタに紛れて忘れてしまう前に、この夏の学びのキーワードだけ。

※どんな壁にぶつかって今ここに立っているのか
※未来を担う子供たちに希望を託したい
※25年後を創造する
※広い視野と低い視点
※被災者自身の声を聞いて考える
※災害に強い街、でも若者たちは離れて行く
※国際保健と災害復興支援
※何をしてはいけないか
※被災者とは誰の事か
※家族でボランティア
※日本に本当に命の格差はないか
※届けるべきサービスを届けられないジレンマ
※市民社会の現状を変えるには
※人が好き、人は変われる
※日本人としてのアイデンティティ
※もっともいばらの道を選び、開いた扉をくぐる
※自分が何を成し遂げたいか(自ら専門性を身につける、専門家と働く)
※若い人に育ってほしいという思い
※世界の格差
※弱みは強みでカバーする

2011年8月20日土曜日

てんき

スーダン留学が流れ、東日本大震災が起き、部活の幹部が終わり、関わっていたNPOの活動が一時休止の後、再始動、そして秋にはいよいよ20代を卒業。

自分自身、自分の過去・将来について考えさせられることもとても多くなってきました。

そんな今年は自分にとって大きな転機となる気がします。一度、大がかりな棚卸が必要だなー。

カンブヲオヘテ

8月頭の西医体終了をもって、実質的に約2年に及んだ部活の幹部を終えた。

1つ上の先輩が2人しかいないために主務を引き受けることになった2年秋。プレーでは今一つ貢献できない自分がチームに貢献する為と後方支援に励んだ。

3年秋からはいよいよ幹部本番。同学年のプレーヤー5人、マネージャー2人の計7人という比較的大所帯幹部で春・夏の大会に臨むことに。春の大会は九州で初優勝。夏の大会は屈辱の1回戦負け。

プレイに集中したい、最年長としてできることをしたいという思いから、主務業は同級生に譲り、「副」主務としてサポートにまわる事にしたこの1年。それまでやっていた学生団体/NGO活動からもいったん手を引き、ラグビーに集中できる環境を整えた。

振り返ってみると、反省ばかり。

なかなか自分で仕事をしてくれない同級生主務をうまくモチベーとできない。
これまでよりも時間はあるはずなのに思うようにラグビーに打ち込めない。
プレーではじわじわとまわりに差をつけられて、なかなかグラウンドに立つことが出来ない。

でも、チームスポーツラグビーを微力ながらも幹部として支えたこの2年間は自分にとってとても大きな糧となりました。チームの一員として何をすべきか片時も休むことなく考えることの重要性を何度も何度も痛感したこの2年間。

プレーではまだまだ不完全燃焼だから、30歳を迎える後期、気合を入れ直して再チャレンジしたいと思います。

2011年5月8日日曜日

山の頂き

気付けばずいぶんと日記の更新から遠ざかってしまっていた。

この4カ月余りの間に、実に多くの事があった。膨大な量の試験勉強に追われ、あわやのところで追試を免れた1月。気持ははるかアフリカの大地に向いていたのか、思うように集中できず、大いに反省残る一月だった。念願のスーダン行きは達成できず、かわりにNPOの活動に打ち込んだ2月。社会人として働きながら、NPOの活動にも精力的に取り組む仲間たちの姿勢に大きな刺激を受けた。3月に入るとラグビーの練習が再開。そして3月11日、春休みの終わりに突如として訪れた大震災。4月に入ってもなんとなく気持ちが切り替えられぬまま、日々が過ぎて行った。

なんとなく集中できぬ気持ちのまま迎えた、今シーズン最初の大きなラグビーの大会。自身は幹部学年として臨みながらも、リザーブとしてけがも抱えながら迎えた大会だった。そして結果はというと、、、創部以来33年、3連覇中の久留米大学を破り、初めての九州制覇を果たしたのである。自分自身はグラウンドに立てなかった悔しさもあるが、初めて頂きに上る気持ちをチームメイトと味わう事が出来た、この経験は何物にも代え難く、自分の30年の人生の中でも燦然と輝く勲章になると確信している。

振り返ってみても、今シーズンの練習試合は苦戦続き、常に接戦を繰り広げながらもあと一歩及ばず、勝利からは長らく遠ざかっていた。自分と同学年、大学からラグビーを始めたキャプテンはそれでも焦らず、地道にチームを創り上げた。これまで経験者の先輩たちが感覚で語っていたものを誰もが分かる言葉にまでブレイクダウンし、チーム全体の意思統一を図った。フィットネス、体幹、筋トレ、地味なトレーニングも毎日のように課した。こうした地味な努力の積み重ね、常に先頭に立って努力をするキャプテンの姿勢がチーム全体を動かし、個々の気持ちを鼓舞した。そしてチームの先頭に立ち続けたのが6年生の先輩たち。ここ数年で最強の6年生軍団は、忙しいクリクラの合間にもトレーニングを欠かさず、他のどの学年よりも声を出し、グラウンドを走り回った。

試合は初戦こそ大勝したものの、準決勝は5-5の引き分けの後の抽選勝ち。決勝はラスト6分で逆転しての5-3の辛勝であった。それでもこの勝利はチームにとって限りなく大きなものをもたらしてくれたと思う。そして僕自身にとっても。

今は多くを語る言葉を持ち合わせてはいないけど、この1週間で経験したものを自分の中で上手く消化し、高みへと昇華する力としたい。今シーズンはとにかくラグビーに打ち込もう。改めてそう強く思う事が出来た。よし、頑張ろ。

2010年12月18日土曜日

優れた人は優しい人

昨日、今年度最後の薬理学の講義がありました。うちの大学を卒業し、薬理学の研究室に入り、教授の退官とともに教授選に出馬。が、破れて大学を後にする事になった先生・・・ずっと地元に貢献してきた先生が、若すぎるという理由で(もちろんそれだけではないでしょうけど)地元を去る事になるのはとても寂しいなと思います。

その先生が僕たちに最後に残してくれた言葉がとても印象的だったので、ここに書き残しておきます。


私は「優」といふ字を考へます。これは優れるといふ字で、 優良可なんていふし、優勝なんていふけど、でも、もう一つ 読み方があるでせう?優しいとも読みます。 さうして、この字をよく見ると、人偏に、憂ふると書いてゐます。 人を憂へる、人の淋しさ、侘しさ、つらさに敏感な事、これが優しさであり、また人間として一番優れてゐる事ぢやないかしら。


太宰治が小説の中で述べている言葉だそうです。

漢字の成り立ちからも、太古の昔から、人に共感できる事が「優しい」ということであり、美徳として考えられていたことが分かる、なるほど、その通りだなぁ、と今更ながら思いました。

別の講義で、沖縄中部病院の院長をかつてつとめられた先生もおっしゃっていましたが、医者は人間が好きでないとできない。人間が好きな人は、きっと太宰治の言う「優しい人」なのだろう、と思い、周りをみまわし、自分自身を振り返り、色々と考えさせられてしまいました。何を考えたのかについては、また別の機会に・・・

ただ、本当の意味で「優しい」人に自分もなりたいと心から思います。同じ日本人だけでなく、文化も生活環境も全く違う途上国の人たちの日常に思いをはせ、ともに憂い、ともに喜べる「優しい」人に。

2010年11月27日土曜日

外側を剥ぎ取れ

カンヌ映画祭でスタンディングオベーションを巻き起こしたというのだから、皆さんはすでにご存知かもしれない。昨夜、宮崎で唯一マイナー映画を中心に上映する宮崎キネマ館にてドキュメンタリー映画『BENDA BILILI!』を見てきた。

先日、友人が中心となって写真展のイベントを開催した際に、広報にご協力いただいたUNICEF協会の方からたまたま教えていただいた映画で、前々から見るのを楽しみにしていたのだが、学祭などに忙殺され、気付けば宮崎では昨日が上映最終日。駆け込みセーフだった(ふう)。


タイトル BENDA BILILI はコンゴ民主共和国の部族語のひとつであるリンガラ語で「外面を剥ぎ取れ」つまり「内面をみよ」という意味らしい。

映画の舞台はアフリカの中心、The Bleeding Heart of Africa とも形容されるコンゴ民主共和国。もともと一つの国だったものが、川を挟んでコンゴ民主共和国とコンゴ共和国に隔てられた歴史があり、地域紛争による内乱で非常に情勢が不安定な国という印象を持つ方も多いのではなかろうか。

そんなコンゴ民主共和国の首都キンサシャで、障害を持ちつつも楽器を演奏し、力強く生きる路上生活者たちが、コンゴを愛する2人のフランス人映像作家にその音楽の才能を見こまれ、Staff Benda Bililiというバンドを結成。その強烈なエネルギーとアフリカンなリズム感、どん底から世界を見つめた歌詞でヨーロッパを席巻するまでのドキュメンタリーである。

あまり詳しい内容に触れるとネタばれになってしまうので、ここには映画を見て感じたことと、1つ印象に残った歌の歌詞を残しておきたい。

もうアフリカに思いをはせるようになって久しいが、実はフランス語圏のサブサハラアフリカには一度も行った事がない自分。でも、映画を見てフランス語圏も英語圏も関係ない事が分かった。見慣れたアフリカの街並み、人々の活気、独特の訛り、それは僕がウガンダやザンビアで見てきたものとなんら変わりはなかった。ドキュメンタリー映画だけに、他のアフリカを扱った映画と比べても、抜群にアフリカの生活感がにじみ出た作品になっていると感じた。

そして貧困から抜け出す手段として音楽がこんなにも魅力的でしかも即効性があるということにも、改めて驚かされた。今後、スタッフ・ベンダ・ビリリのメンバーがどのように活躍を続け、自分達がかつて暮らしていた路上生活者、ダークサイドの社会に対してどのような影響を及ぼしていくのか、その成功を社会にどうやって還元して行くのか、関心を持ち続けて見守っていきたいなあ。

スタッフ・ベンダ・ビリリの歌は、歌詞というよりも、そのテンポとメロディがとても印象的だが、なかでも印象に残ったのはコンゴの象徴ともいえる曲、「マルゲリーテ」である。ある意味ベタなないようではあるが、当事者がうたっているからこそのメッセージ性が感じられる。その歌詞を映画のパンフレットから抜粋しておきたい。

マルゲリーテ(http://www.youtube.com/watch?v=3fYeUosFiBw)

マルゲリーテ 俺の妹
俺たちは同じ親の元に生まれ
弟や妹がそのあとに続いた

今では家族は離ればなれ
おまえは川の岸辺に
俺はその対岸に
お前の形態はヴォーダコム
俺の国にはテレセルしかない
俺はこっちの川岸で独りぼっち

食える日もあれば食えない日もある
ツイてる日は誰にでもある
今日はお前 明日はあいつ
すぐにお前の番がめぐってくる

マルゲリーテはコンゴ共和国に
ココはコンゴ民主共和国に
忌々しい川が二人を隔てる

川によって隔てられた二国に住む兄弟に焦点を当てたこの歌。アフリカに行った事がない人はちょっとピンと来ないかもしれないが、今やアフリカでは携帯が大流行、歌詞の中に携帯が出てきて、しかも通信業者が国によって違うため、国を挟んで通じない、という事情がなんとも現代的でリアルだなぁと思った。


この映画を見て、なんだかすごく元気をもらった。そしてまたアフリカに帰りたくなった。スーダンに留学する来年の2月がますます待ちきれなくなった、FRIDAY NIGHTでした!

そんな映画、BENDA BILILI。そしてバンド STAFF BENDA BILILI。
興味のある人はぜひ、このホームページ(http://bendabilili.jp/bendabilili.html)を覗いてみて下さい♪