心に浮かび、かつ消えゆくよしなしごとが、永遠に消えてしまわないように、そこはかとなく書きつけてみようと思います。

2009年1月27日火曜日

大阪出張

24日・25日の週末を利用して大阪まで行ってきました。

当初は24日に大阪大学で開かれる某報告会に参加するのが目的でした。が、縁あって25日には日雇労働者の町として有名な、大阪の「あいりん地区」の見学にいくこともでき、なかなか充実した週末になりました。

たまには重い腰をあげてみるものですね^^

大阪大学で開かれた報告会はjaih-s(http://www.jaih-s.net/)という学生団体が主催したものでした。この団体、国際保健医療に興味のある学生が集まって勉強会を開いたり、途上国での実習の斡旋をしたりするなど、国際保健医療を志す学生のキャリアパス形成のお手伝いをすることを目的としています。(というのが僕の解釈ですが、正確・詳細な活動内容はHPを見てみてください)

立ち上げに友人が関わったということもあり、以前から興味を持っていました。ただなかなか予定が合わず、去年はイベントに参加する機会がなかったので、今年こそはと思っていたわけです。

報告会の内容は、ベトナム・ヨルダン・インドネシア・パキスタン・マダガスカルに赴いた学生による実習報告。

去年は部活や授業に忙殺され、とてもドメスティックな1年だったので、久々の途上国のお話はとても新鮮で刺激的なものでした。

中でも圧巻だったのが、ヨルダンの発表をしたOさん。本来は実習の報告をすべきところですが、隣国イスラエルのガザ攻撃に心を痛めた彼女は報告は早々にきりあげて(15枚のスライド中最初の1枚だけ!)残りの時間は、ガザの惨状をひたすら訴えていました。

胸の内にたまっていたものを吐き出すようにして話しだしたOさん。ガザで起こっていた戦闘に関してユダヤの歴史から始まり、中東戦争を経て、現在に至るまでの経緯を熱く語り20分あまりの発表時間の中にありったけの思いが詰め込まれていました。

「現状を知り、自分に何ができるかを常に考え、実行に移す」という姿勢って-かっこいいですよね。自分は最近、行動ができてないなぁ、と反省。

最後に板東先生という方がコメントをして下さいました。30年近く養護学校の教員をされていて、あるとき障害者といえばベトナム!と思い立ち、ベトナムへと旅立った先生。JICA専門家などを経て、現在はベトナムの障害者支援をするNGOの事務局長をしつつ、大阪大学大学院に学生として通うという異色の経歴を持っています。

忘れないうちに先生がおっしゃっていた話で印象に残っているものをメモしておきます。

*「国際協力」を受けたことがない日本人が「国際協力」をするのは非常に難しいことで、常に相手の気持ちに対するイマジネーションが必要である

*NGOの職員と子供たちとの間の緩衝材としての日本の若者の存在はとても大きい→若者のボランティアはwelcomeである

*短期間、定期的という形での効果的な国際保健医療協力も成り立ちうる→5年ほどで現地の信頼を得ることができた

*現地に長期滞在する際は常に「引き際」を考えておくべき→現地のオーナーシップ

*途上国の人との付き合い方→これ以上はダメというラインを自分の中で引いて、それを貫き通す


備忘録的に書いたのでぱっとみ何のことか分からないかもしれませんね。もし興味がある内容があったら、ぜひコメントしてください!もう少し詳しく説明します。

というわけで今日はこの辺で。「あいりん地区」に関しても後日、なにかかければと思います。

2009年1月21日水曜日

祝福 続

たった今、オバマ新大統領の就任演説が終わった。

宣誓の場面で言葉に詰まり、緊張をうかがわせたのが嘘のように、スピーチは堂々としていた。

原稿も読まず、聴衆を見渡すように、国民に話しかけるように、ゆっくりと。

クライマックスにはいささか欠ける内容だったが、でも間違いなく、

A new history has begun. This is the new generation.

そう思わせるスピーチだった。

こんなスピーチ、どうやったらできるようになるんだろ…

祝福

本名はバラク・フセイン・オバマ・ジュニア。バラクはスワヒリ語で「祝福された」という意味だそうです。

そう、いよいよオバマ大統領の就任演説の時間が迫ってきました。もちろん生放送で見るつもりです。

アメリカ初の黒人大統領。南北戦争、公民権運動と経て、Black Americanの人たちにとっては3回目の歴史的な大転換点と言えるのかもしれません。

はたして新大統領は国民に、世界に、そして神に祝福された大統領になることができるのでしょうか?

楽しみたのしみ。

以下、シカゴで行われた勝利演説より。

This election had many firsts and many stories that will be told for generations. But one that's on my mind tonight is about a woman who cast her ballot in Atlanta.

She is a lot like the millions of others who stood in line to make their voice heard in this election, except for one thing: Ann Nixon Cooper is 106 years old.

She was born just a generation past slavery, a time when there were no cars on the road or planes in the sky, when someone like her couldn't vote for two reasons: because she was a woman, and because of the color of her skin. And tonight, I think about all that she's seen throughout her century in America—the heartache and the hope, the struggle and the progress, the times we were told that we can't, and the people who pressed on with that American creed:

Yes, we can.

At a time when women's voices were silenced and their hopes dismissed, she lived to see them stand up and speak out and reach for the ballot.

Yes, we can.

差し入れ

今日、部活の同期10人で数日後にテストを控える先輩に「差し入れ」に行ってきました。

体育会系の部活に入っていると、理不尽な伝統だったり、羽目を外しすぎる飲み会だったり、厳しい上下関係だったりに辟易することも多々ありますが、この「差し入れ」の伝統はなかなか気に入っています。

今から半年ほど前、初めての大きなテストを翌日に控えたその夜に、突然、部活の先輩からメールが来ました。

「今どこにいる?」

なんでそんなこと聞くんだろう、まさかこれから飲み会とかじゃないよなぁ!?などと思いながら、家にいる、と返信をすると今度は電話がかかってきました。

「今、Soの家の近くにいるけん、ちょっと遊びに行くわー。」

いやいや、明日試験なんだから勘弁してよー、と思っていると、まもなく玄関のチャイムが鳴りました。

少し憂鬱な心持でドアを開けると、そこには2年から4年までの先輩が5,6人。ちょっと酔っぱらっているようです。

「ちょっとあがっていい?」

言うなり、ぞくぞくと部屋に入ってきました。ほんと、何で突然、と思っていると、先輩の一人が、

「1年生、あしたから試験やんな?今激励に皆のいえまわってるんよ。」

あ、そういうこと!それにしてもみんなのところ回るってすごいな…

「○○と××はファミレスで一緒に勉強してるらしいから、一番最後に行く予定だよ。」

なんと、ファミレスにまで行っちゃうんですか。なんと徹底していること。一通り世間話を終え、テスト勉強の進捗を聞き終えると、

「これ皆からの差し入れだから、試験頑張りっ!」

渡されたビニール袋には、チョコレートやコーヒー、カップラーメンなど追い詰められ疲れている試験直前にとっても嬉しいちょっとした食品たちが詰め込まれていたのです。

特に長居するでもなく、差し入れを渡すと先輩達は次なる目的地へとすーっと消えていったのでした。

最初にメールをもらった時に、えーっと思っていた自分はすっかりどこかに行ってしまい、翌日のテストに向けてなんだか力がみなぎってきました。いいなぁ、これ。ちゃんとお返ししなくちゃな。


そんなわけで、この「差し入れ」のお返しを先輩にする機会をずうーっと待っていたわけです。

一人ひとり何が好きかなど考えながら買い出しをし、皆で袋に仕分けして、先輩の居場所をメールで確認。自宅にいる人もいれば、学校の図書館や友達の家で勉強している人もいました。

皆、必死で勉強している姿に、自分たちも来年・再来年は試験で苦労するんだろうなぁと思いつつ、差し入れを受け取った時の先輩達のてれたような笑顔にちょっぴり心が温かくなったのでした。

2009年1月17日土曜日

ちぇ

最近、医師であり、キューバ革命の立役者の一人となったチェ・ゲバラの半生を描いた「チェ~28歳の革命」という映画が公開された。ご覧になった方はいるだろうか?

学生闘争が歴史上の出来事となってしまった今、知っている方は少ないかもしれないが、彼はかつて「革命」を夢見る若者たちの間で絶大な人気を誇っていた人物である。この「革命」とはつまり貧者の救済であり、階級の打破であった。

映画を見て以降、彼の思想と人間性に惹かれ、本を読み込んでリサーチをしようとしていた、その矢先に思わぬ事実に遭遇した。

なんと彼は熱心なラグビー愛好家だったというのだ!!!

南米はアルゼンチンに生まれ育ち、WTB/CTBとして華奢な体型ながらひじを高く張ったタックルでぶち当たった。医学生時代はラグビー雑誌の編集に熱中していたと言う。

曰く「いつかラグビーによって命を落とすようなことになったとしても、僕はプレーを愛しているんだ」

父曰く「エルネスト(チェの本名)は、ラグビーから学んだチームスピリット、規律、敵への敬意を忘れることはなかった」

またラグビーのアルゼンチン代表はこうも言っている。

「チェは、ゲリラ戦に我々のスポーツから学んだ戦術を用いていた。私にとってアルゼンチンのラグビーの象徴なのです」


歴史的な革命家をも惹きつけてやまないラグビー…モラルとスピリットにあふれるラグビー…ゲリラ戦にまで応用できてしまうラグビー…

うーむ。ラグビーは想像以上に奥が深いらしい。どこまでも深みにはまっていきたいと思う今日この頃であった。


(引用の出典は藤島大さんのエッセイです)

2009年1月16日金曜日

限りなく透明に近いブルー

村上龍さんの小説のタイトルを拝借しました。

今朝の宮崎の気温は摂氏2度。南国宮崎といえども冬はとっても冷え込みます。朝起きて、冷え込んだ部屋を少しでも暖めるためにカーテンを引くと、そこには雲ひとつない淡い青空が広がり、自然と「限りなく透明に近いブルー」というフレーズが浮かんできたのでした。

ふと空を見上げると、この空は世界中にくまなく広がっていて、もちろん、アフリカにもイギリスにもつながっているんだよなぁ、と心がトリップしてしまうことがあります。そして、必ず思い出すのが、谷川俊太郎の「朝のリレー」。


カムチャッカの若者が 
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は 
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝日にウインクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている

ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ


すごく好きな詩の一つです。小学校か中学校の国語の教科書に載っていた気がするので、知っている人も多いのではないでしょうか?

朝をリレーするなんて、素敵な表現だなぁと思いました。すごい想像力。そして、みんなが交代で地球を守っている…(子供の頃は、きりんの夢とか、朝もやとか、柱頭にウインクとか、イメージが鮮明に描ける感じがとても気に入っていました。朝のリレーだなんて、おかしなこというなぁって。)

こうして日記を書いている今もどこかで朝が始まっているんですよね。皆元気にしてるかなぁ。

さて、発表の準備をせねば…ダッシュ(走り出す様)

2009年1月15日木曜日

出席

他の大学のことはちょっと分からないのだけど、僕の在籍している大学では単位取得のために出席率75%が必要であり、したがって全ての授業で原則、出席をとる。

方法は様々で、出席票に名前を書いて提出するだけのものから、感想文の提出をもって出席にかえるもの、中には医学部1学年100人全員の名前をいちいち呼ぶ先生までいる。

先生が方法を工夫するのには当然理由がある。放っておくと多くの学生は友人に「代筆」を頼み、ゴーストスチューデントとして実際には授業に出ていない、という事態が多発するのである。

初めは出席票にサインするだけだったのが、あまりに学生が休むので、直接点呼に変えた先生もいれば、代筆しても筆跡チェックしてるからばれますよと脅す先生や、出席カードの裏にこっそり通し番号を書いておいて、使いまわすとばれるようにしている先生がいたり。

肝が据わっているというかなんというか、それでも休む学生は休むし、非常にタチが悪いのは、出席を取った後に教室を退室していく子たちである。

退屈な授業があるのはわかるが、それでも先生なりには準備をしてきているのだから、それに対する最低限のリスペクトは必要なのではないか?自分が教える側で、ぞろぞろと生徒が退室していったらどんな気持ちだろう。

その授業の先生は諦めの境地に達しているのか、寂しそうに「なんか、今日もあからさまに出て言ったなぁ。これだけ目立ってやられると何といっていいのやら」とつぶやいただけだったが…

医学部は学年の全員が高い確率で将来みな医師になるという非常に特殊な環境である。カリキュラムは専門学校的であり、退屈なことも多いが、学んでいる内容は将来、直接・間接の差こそあれ、確実に臨床において役立つものであり、必要なものであると思う。

それ以上に、医師が相手にするのは生身の人間であり、不用意な言い訳などできるはずもないとともに、「人の気持ちに対する想像力」は必要不可欠だと思う。

だからこそ、平気で授業を途中退室したり、マンガをよんだり、後ろで固まっておしゃべりしたり、そういう学生がいるとちょっと悲しくなる。

なるべくさりげなく指摘するようにはしているんだけど、なかなか難しいものです。学年最年長の自分には、もうちょっといい方向に皆を誘導する努力をする責任がある気はするのですが。

今日読んでいた「アジアの子どもたちに学ぶ」(池間哲郎)という本に「聞く」ことができない子供たち、感謝こそ生きる力、という項があり、無気力な日本の子供達と、学ぶことに貪欲なアジアの途上国の子供たちが対比されていた。また「自分を生んだのは親だから、親が大学に行くお金を出すのは当たり前」という意見が紹介されていて、愕然としてしまった…

途中退室を含む大学での学生たちの授業に対する姿勢と重なり、うーむと思わず考えさせられてしまいました。一度大学を卒業しているからこそ見えてくるものを、どうやったらみんなとシェアできるのだろうか。