心に浮かび、かつ消えゆくよしなしごとが、永遠に消えてしまわないように、そこはかとなく書きつけてみようと思います。

2008年12月31日水曜日

無料医療相談会

ひょんなことから、新宿中央公園にてホームレスの方々を対象に無償で医療を提供するというボランティア活動のお手伝いをさせていただいた。

この活動、新宿連絡会という団体が行っているもので、ホームレスの方にいつでも安心して1次(零次?)医療を受けてもらえるよう、普段から公園にテントをはり、12月から1月にかけての一定期間、医師や看護師などがボランティアで交替ごうたい24時間テントに詰めるという。

新宿って結構ホームレスの人いるよなー、とは前々から思っていたが、公園について見てびっくり、広場は炊き出しをもらいにきたホームレスの方でごったがえしていた。その数は優に100は超えるのではなかろうか。

この日は、医療相談会の他に、フォークソングやフラメンコのライブもやっており、服を何枚も着こみ、ぐるぐる巻きのマフラー、ボストンバックやキャリーバックなどに荷物をつめこんだ路上生活者の人たちがリズムに乗りながら、楽しそうに音楽やパフォーマンスに魅入っている姿になんとなく圧倒される。

さて、本題の医療相談会。医師の診察は必要ないけど薬だけ欲しいという人のためのオープンスペースと、医師4,5人が詰めるテントに分かれており、診察を受ける人は事前にボランティアの問診を受けることになっていた。

僕はこの問診をとる仕事を担当させてもらった。質問項目は、どんな症状か?それはいつからか?既往症などの項目と、福祉を使ったことがあるか、路上生活はいつからかなどといった項目に分かれており、症状とともに、路上生活者の実態が把握できるような形式になっている。

問診などとるのは当然初めて!なので最初はどきどきしていたが、始まってみると、フレンドリーな患者さんたちの人柄に助けられて、たどたどしいながら問診票を埋めていくことができた。

個人的な印象では年齢は60歳くらいの人が多かった。それぞれに以前は職を持っていたようで、ちょっと聞くと話は止まらず、30分以上も依然やっていた漁船の仕事について熱く語られたりなどということもあった。なかには以前大阪の路上で生活しているとき、京都大学や同志社などを卒業した高学歴のホームレスと出会ったと話す人もいる。話していておもったのは、みんな一様に強くたくましく生きているということである。決して人生投げたり、悲観的になっているわけではない。でも普段話し相手がいなくてちょっと寂しいおじちゃんおばちゃん。そんな風情であった。

ボランティアを終えた最後のまとめの挨拶で、責任者の先生が、今年はホームレスの方の数は去年と比べて2倍近くに増えているとおっしゃった。そういえば勝ち組負け組、ワーキングプアなどと題してホームレスの人たちを扱ったテレビ番組なんかも最近は増えている気がする。少しずつ広がっていく社会格差。

最近は学生生活に浸りきっていたので、社会に目を向ける良いきっかけになりました。

2008年10月2日木曜日

新学期

いよいよ10月、再び大学が始まりました。

今学期の授業の目玉は、発生学と細胞生物学の二つ。

発生学では受精から出産までの一連の過程を追う事
になるのですが、教科書をパラパラめくると遺伝子
異常による疾患(ダウン症とか)の写真がちらほら
見受けられます。医学の進歩の為とはいえ、サンプ
ルとして写真にとられ、教科書にまでのせられる人
達は、どんな気持ちなのか、ふと考えてしまいました。

今学期は11月に2回の太鼓演奏、12月に青島のフル
マラソンに参加するので、体力作りのために、ジョ
ギングを再開。青島マラソンは東国原知事も参加す
るかもしれないので密かに楽しみにしています。


学園祭は一般の人も来られるので、時間があったら
是非太鼓の演奏をみにいらして下さいなウインク

2008年9月29日月曜日

へき地医療実習

10月1日から後期の授業が始まります。いよいよ発生や細胞
など医学の基礎科目が始まるので楽しみにしていますわーい(嬉しい顔)

さて、今回は夏休みにあったイベントの中でも最も印象に
残っている「へき地医療実習」に関して少し書きたいとお
もいます。

なぜ印象に残っているかというと、
それは…

①初めて間近で医療の現場をみた
②防災救急ヘリに搭乗!
③地元の新聞・テレビデビュー

の3つの理由からです。

へき地医療実習は、県が内外の医学生にへき地医療の現場
を見てもらおうという目的の下に年1回開催されているも
ので、今年は30名ほどが参加、7つの班に分かれてそれぞれ
へき地の病院で2泊3日をすごしました。

うちの班が行くことになったのは県北の五ヶ瀬町という人
口4500人ほどの町です。

ヘリの駐機訓練及び搭乗訓練が行われたのは、初日、航空
センターにおいてでした。本来、ヘリの搭乗訓練はセンタ
ーから病院まで、実際の出動の状況に即して行われるべき
ところですが、予算と時間の都合上、7班のうち実際に病
院まで搭乗できるのは1班だけとのこと。そして、な、な
んと幸運にもうちの班が現地直行班に選ばれたのでした。

他の班の人たちが訓練を済ませ、「すごい見晴らしがよか
った」「意外に揺れなかったよ」「もっと乗っていたかっ
ったな」などと口々に感想を述べてるのを聞きながら、自
分たちの順番が来るのを今かいまかと待ちわびていた僕で
したが、あと1グループで自分たちの番がくる!というと
きになって、急に雷をともなうにわか雨がふってきました。

救急隊員の人が空模様を険しい顔で見上げているのを見て
もしや、ここまできて、搭乗は中止になってしまうのだろ
うか…げっそりと泣きそうになりながら、でも望みをつな
ぎつつ、天に祈りつつ、OKが出るのを待つこと30分、
北の空に晴れ間が覗き、出動OKの指示が出たのです。

写真は、意気揚々とヘリに向かう医学生と救急隊員の対比
の図です。「コード・ブルー」がとても身近に感じられた
瞬間でした。

さて、無事ヘリの乗り込んだ僕たちは、車で4時間かかる
道のりをわずか30分で目的地の五ヶ瀬町に到着すること
ができました。時速にして200キロ以上。山間部の多い
地域の医療における防災救急ヘリの有用性を身をもって感
じることができました。

書き始めたら長くなりそうなので、この辺で小休止を。

2008年8月30日土曜日

ナイキラン

明日山梨は本栖湖でのチャリティーランに出るために、はるばる九州から車でやって参りました。

走行距離はざっと1500キロくらいでしょうか。

途中京都ではイタリアとフィンランドからの医学生と観光もたのしみつつ、初めての車旅です。

明日は10キロのレースがあって、参加費の一部がチャリティーとしてUNHCRなどの団体に寄付されます。

そして走り終わると木村カエラをはじめとするアーティストによるライブが!

今日はレースに備えて早く寝ます。楽しみたのしみ♪

2008年8月10日日曜日

あっという間に夏休み…

日記を書こう書こうと思いつつ、過ぎゆく日々に忙殺されてました。

そして気付いたら夏休み!!なんと10月頭まで続きます手(チョキ)

さて医学部1年生前期は何をしていたかというと…

添削のバイト→ラグビー→和太鼓→たまに勉強

というサイクルを繰り返していました。演奏会前は太鼓の練習を
終えうちに帰ると00時過ぎということも数知れず。

でも、振り返ってみるとかなり充実してました。この年になって
これだけ学生生活を満喫できるのは幸せな限り。

夏休みは、来学期に向けて、基礎医学の勉強したり、ラグビー向け
の体づくりしたり、ぶらっと旅に出たりしようと思ってます。

時間をみつけたら、この4か月を振り返って、思ったことを書くかも
しれませぬ。

2008年4月17日木曜日

新生活!

4月1日に宮崎に越してきて早2週間、大学の授業も一巡してようやく生活も落ち着いてきました。

宮崎は椰子の木が生い茂り、おいしい食事とお酒にめぐまれた「てげよかとこっちゃ(とっても良いところです)」so far...

これから、時間を見つけて大学生活やアフリカ、国際協力や医療について、考えたことを徒然に書いていきたいと思っているので、ささるものがあったらぜひコメントしてね。

ちなみに、1、2年生は単位振替のおかげで比較的時間がある!ということで、さっそくラグビー部・ESS・すずかけ太鼓・国際保健医療研究会と複数の部活に入部しました。

まずは学生生活エンジョイしなくちゃexclamation ×2

2008年2月3日日曜日

積雪…

のもののあはれにつられて日記を書こうと思ったのはよいのだけど、最近は事件に乏しいので、アフリカ時代に書いていた日記からの引用を。

(注)ADEOとはウガンダのMoyoという地域で難民対象の医療サービスを提供しているNGOです。

「とある日の夕暮れ時に」

いよいよ研修も残り一ヶ月をきり、資料やレポートなどの編集作業で事務所にこもることが多くなってきた。最近では、仕事に疲れたときは事務所から出て、緑に包まれた新鮮な空気を吸うために少し散歩に出ることにしている。

ADEOの敷地をでると幅10メートルほどの一本道があり、右に曲がるとMoyoの町へ、左にまがるとナイル川へと続いている。5月のとある一日、ADEOのオフィスから一番近くにあるトレーディングセンターまでぶらっと散歩をしようと、ADEO敷地を出て、ナイル川へと向う緩やかな坂を下り始めた。雨上がりの夕方で、空気はひんやりとしており、散歩にはもってこいの気候である。

歩いていると、頭に薪の束やポリタンクいっぱいの水をのせて歩いている女性と頻繁にすれ違う。首と肩の動きで上手くバランスをとって手で支えることなく10キロ以上もの荷物を頭で支えて運んでいるのだ。彼女らの多くはスーダン難民であり、英語は話せないが、軽く笑顔を作り、手を振ると、その何倍もの満面の笑顔を浮かべて手を振りかえしてくれる。ちょうど学校が終わって帰宅する時間だったため、子供達もグループをつくり、各々の家へと向ってあるいており、僕を見つけると「もーんろっ(白人)!!」と呼びかけてくる。返事をするときゃっきゃと飛び上がって喜び、友達同士でひそひそと内緒話をはじめる。「ねー、みたみた??本物のはくじんがこっちに手を振ったよぉ。」とでもささやきあっているのだろうか。最初は戸惑うことも多かった彼らの視線も、いまではすっかり慣れて余裕を持って応じることが出来るようになった。

木々にはココナッツやマンゴーが実り、畑にはモロコシが植えられ、まもなく訪れる収穫のときを待っている。30分ほどのんびりと歩き、坂を下りきってつきあたりのラウンダバウトで右折すると、まもなくNdilindili トレーディングセンターに到着する。ついた頃にはすでに日も暮れて、店先にはランタンのやわらかい灯りがともり始めていた。

センターといっても、レンガ造りにトタン屋根の万屋や食堂が道を挟んで両側に5軒ほど並ぶ、ごく小さな盛り場であり、それでも、村では一番の「都会」であるため、多くの人が集まっている。食堂は、日本の時代劇のテレビドラマに出てくる山間[やまあい]の休憩所のように、外に木製の長いすと長テーブルがだされており、人々は肩を寄せ合うようにして食事をとっている。暗がりの中、道にあいた穴に足をとられないよう、足元に注意しながら歩いていると、後ろで僕の名前を呼ぶ声がする。振り返ってみてみると、Ndilindiliセンターの裏手に居を構える顔見知りが食堂の長いすに腰掛け、アフタヌーンティーをすすっていた。一緒にお茶をしないかとの申し出に応えて、自分も長いすに腰掛ける。こちらに来た当初は日が暮れてから活動するマラリア蚊に注意していた為、暗くなってからセンターに来るのはこれがはじめてであったが、オレンジ色のやわらかい灯がスポットライトのように人々の活動を照らし出すせいか、昼間以上に活気に満ちて見えた。

店先のランタンや食堂の竈の炭火はこうこうと燃え、子供達は、薪やわらに火をつけて灯篭がわりにし、元気に走り回っている。すこし危なっかしくもあるが、火傷をしないように、それこそ線香花火でも扱うように、上手に火を扱い遊びまわる姿にしばし見惚れていた。空を見上げれば満天の星空に絵に描いたような天の川が広がり、星のまぶしいばかりのきらめきに混じって、ホタルのやんわりとした光りがところどころにちらついている。耳を澄ませば、人々がさわさわと話す声にまぎれて、蝉の鳴き声が聞こえる。初めてのはずなのに、どこか郷愁を感じてしまう、そんな情景である。日本においてはごく一部の地域を除いてすでに失われてしまった情景・・・

やがで、Moyoにも開発の手が及び、道路が整備され、畑は住宅地へとかわり、これらの自然に満ちた生き生きとした情景も失われてしまうのだろうか?Moyoに住む人々は、自然と共に暮らす生活よりもラジオやパソコン、車やテレビなどのあるより物質的に豊かな生活を求め、人々の目は先進国へと向いている。地域コミュニティーの求心力は失われつつあり、脱地方、脱ウガンダの遠心力がつよく働くようになっているのだ。一方で先進国の目は自分たちの国では失われてしまった自然や豊かな伝統文化へとむけられることが多い。

理想的な発展・開発とはどんなものなのであろうか?途上国だけでなく先進国に暮らすわれわれにとっても、これは真剣に考えるべき命題ではなかろうか。