心に浮かび、かつ消えゆくよしなしごとが、永遠に消えてしまわないように、そこはかとなく書きつけてみようと思います。

2010年8月27日金曜日

健全な後ろめたさ

国際協力写真展と並行して、実は現在、「国際保健医療と地域医療」をテーマに、国際保健医療、地域医療の現場で活躍されている医療者の方にインタビューをしてまわっている。

企画の目的は、宮大を中心とした学生に、国際保健医療や地域医療について少しでも身近に感じてもらい、将来の選択肢として考えてもらうこと。

今日は、そのインタビューの一環で、とある若手のドクターにお話を伺った。

この先生、宮崎出身でなんと大学が僕と同期入学同期卒業(僕が宮崎大学に来る前の話)で、沖縄中部病院(研修病院のメッカのひとつ)・アメリカでの研修を経て宮崎に戻ってきたというなかなか変わった経歴の持ち主である。

なぜ敢えて宮崎に戻ってきたのか。それは、宮崎の地域医療をなんとかしたい、ふとそう思ったからだという。

インタビューの詳細な内容に触れていると日がきっと暮れてしまうので、ここではそんな彼の話の中でも特に印象に残ったお話を。(各インタビューの詳細は11月の学園祭で展示します)

それは「医師には健全な後ろめたさ」が必要である、という一言。

曰く「医者はつねに患者さんのことを思って100%の医療を目指すべきだよね。でも100%って難しい。だって、状態が安定しない重症患者さんを受け持っているとするでしょ。いつ血圧が下がるか分からない。そんな時は、夜通しベットの横で患者さんを見守っていて、急変した時にはいつでも対処できるように。そうできるのがベストだよね。でも実際はそうはいかない。だって自分の生活もあるし、家には家族が待っている。そんなときに、僕は患者さんに対して、いつも後ろめたい気持ちを持っているんだ。でもこの後ろめたさってある意味絶対に必要なもので、後ろめたさを感じなくなってしまったらすごく危ない。だから僕は、いつも医療者は「健全な後ろめたさを持つべきだって、そう思っているんだよね」

後ろめたい。それは一見ネガティブなことのようだけど、実はその気持ちを持つことが、自分が患者さんのことを常に心にとめている、その証拠になるのだろうなぁ、とそう強く思ったのでした。

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