心に浮かび、かつ消えゆくよしなしごとが、永遠に消えてしまわないように、そこはかとなく書きつけてみようと思います。

2009年1月12日月曜日

ロシナンテス

今日の「情熱大陸」でアフリカはスーダンの村で医師として奮闘する川原さんが取り上げられた。

以下は、番組の紹介文である。

『医師 川原尚行 43才

未だ民族間の紛争が絶えないアフリカ・スーダン。政情が安定せずインフラの整わない村々には充分な医療施設もない。2005年、日本の外務省から派遣されていた川原尚行は、一医師として何か出来ないかと考え、勤めていた外務省を辞職、NGO「ロシナンテス」を立ち上げ、スーダンの人々の中へ飛び込んだ・・・・』

マスコミで働いている友達に「ロシナンテス」(http://www.rocinantes.org/)のブログを教えてもらったのがきっかけで、2年くらい前にこのNGOを知ることになり、以来いつか診療所見学に訪ねたいなと思って密かにチェックしていた。ので、今回の「情熱大陸」何度か見返そうと迷わず録画してしまった。


スーダンはウガンダのお隣さんだけあって、村の風景とか雰囲気はウガンダととっても似ていてちょっと懐かしくなった。自分が普段Moyoで接しており、スーダンへと帰って行った難民たちは、今この国で暮らしているんだなぁと感慨にふける。

でも違うのはイスラム圏であるということと、皆が思い浮かべる典型的なアフリカ人ではなく、どちらかというとヨーロッパ人(アラブ人?)に近い顔立ちをしているということ。スーダンはおおざっぱに分けて北部のアラブ人、南部の黒人、とアラブと黒人との混血の人たちに分かれるらしいが、この人たちは混血なのだろうか?

交わされている言葉はアラビア語で、「アッサラームアライクム。ワライクムッサラーム」とかかろうじて聞き取れる挨拶。昔ちょっと習ったアラビア語と、ウガンダのスーダン難民の人たちがしゃべっていたアラビア語がフラッシュバックした。

全然内容とは関係ないけど、川原さんのきている小倉高校ラグビー部のTシャツが気になった(笑)スーダンに会いに行ったらラグビー談議で花を咲かせられるだろうか?などと妄想したり。


見ながら、国際医療協力には色々な形があるけど、川原さんがやっているのが地元に最も密着した必要とされる医療の一つなんだろうなあ、と考えていた。同じ九州大学卒業の中村哲先生(『医者井戸を掘る』で有名な人)もまたアフガニスタンにおいて、地元に密着する形で十年以上も医療活動を続けている。ただ一方で、日本人である我々はあくまでも帰る国のある部外者であり、最終的には現地の人たちが自立して医療サービスも自給していかなければならない。この移行プロセスが最も難しい問題の一つであり、今後ロシナンテスと川原先生や中村先生がどのようにこの問題を解決していくのか、ひっそりと見守っていきたい。

他にも国際NGOに所属して、期間を区切って地元で医療活動をしたり、あるいは政府機関や国際機関に所属して医療行政に携わるという道も当然ありうる。でもそれがとやっぱり地元の人たち、患者さんとの距離が遠くなって、現場感覚を失ってしまう気がするんだよなぁ…

主権国家の行政に口出しするっていうのはとってもデリケートな問題で難しそうだけど。それでも、医師として途上国に赴いた人の多くは、現場でできることの限界を感じて、やがて行政へとその関心を移しているようである。やっぱりできることが多いのだろうか?やりがいがあるのかな?

だけどだけど、行政から入ろうとして、でもやっぱりもっと現場に密着して活動したい!!と痛感した自分にとっては、やっぱり川原さんにようにあくまでも現場にこだわって奮闘している人がいることに勇気づけられる。

何といっても現地には医者が足りない。これは間違いのない事実であり、サービスのギャップに入り込み、行政の不備を補うのが「人間の安全保障」であり、国際社会の中での先進国の果たすべき役割の一つであるとするのならば、やっぱり医者は現場にこだわるべきなのじゃないかな、と思った。

ちなみに縁あって今ちょっと勉強しているザンビアには医学部はひとつしかなく卒業生は1年に30名ほど。しかもエリート教育を受けた医師は欧米で働きたがり、へき地に行こうとしないというのが現状のようです…

0 件のコメント:

コメントを投稿