心に浮かび、かつ消えゆくよしなしごとが、永遠に消えてしまわないように、そこはかとなく書きつけてみようと思います。

2009年1月15日木曜日

出席

他の大学のことはちょっと分からないのだけど、僕の在籍している大学では単位取得のために出席率75%が必要であり、したがって全ての授業で原則、出席をとる。

方法は様々で、出席票に名前を書いて提出するだけのものから、感想文の提出をもって出席にかえるもの、中には医学部1学年100人全員の名前をいちいち呼ぶ先生までいる。

先生が方法を工夫するのには当然理由がある。放っておくと多くの学生は友人に「代筆」を頼み、ゴーストスチューデントとして実際には授業に出ていない、という事態が多発するのである。

初めは出席票にサインするだけだったのが、あまりに学生が休むので、直接点呼に変えた先生もいれば、代筆しても筆跡チェックしてるからばれますよと脅す先生や、出席カードの裏にこっそり通し番号を書いておいて、使いまわすとばれるようにしている先生がいたり。

肝が据わっているというかなんというか、それでも休む学生は休むし、非常にタチが悪いのは、出席を取った後に教室を退室していく子たちである。

退屈な授業があるのはわかるが、それでも先生なりには準備をしてきているのだから、それに対する最低限のリスペクトは必要なのではないか?自分が教える側で、ぞろぞろと生徒が退室していったらどんな気持ちだろう。

その授業の先生は諦めの境地に達しているのか、寂しそうに「なんか、今日もあからさまに出て言ったなぁ。これだけ目立ってやられると何といっていいのやら」とつぶやいただけだったが…

医学部は学年の全員が高い確率で将来みな医師になるという非常に特殊な環境である。カリキュラムは専門学校的であり、退屈なことも多いが、学んでいる内容は将来、直接・間接の差こそあれ、確実に臨床において役立つものであり、必要なものであると思う。

それ以上に、医師が相手にするのは生身の人間であり、不用意な言い訳などできるはずもないとともに、「人の気持ちに対する想像力」は必要不可欠だと思う。

だからこそ、平気で授業を途中退室したり、マンガをよんだり、後ろで固まっておしゃべりしたり、そういう学生がいるとちょっと悲しくなる。

なるべくさりげなく指摘するようにはしているんだけど、なかなか難しいものです。学年最年長の自分には、もうちょっといい方向に皆を誘導する努力をする責任がある気はするのですが。

今日読んでいた「アジアの子どもたちに学ぶ」(池間哲郎)という本に「聞く」ことができない子供たち、感謝こそ生きる力、という項があり、無気力な日本の子供達と、学ぶことに貪欲なアジアの途上国の子供たちが対比されていた。また「自分を生んだのは親だから、親が大学に行くお金を出すのは当たり前」という意見が紹介されていて、愕然としてしまった…

途中退室を含む大学での学生たちの授業に対する姿勢と重なり、うーむと思わず考えさせられてしまいました。一度大学を卒業しているからこそ見えてくるものを、どうやったらみんなとシェアできるのだろうか。

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